親の介護と猫たちと

50代になり、父親が2年前から認知症の症状が出始め、姉妹で交代で見てきましたが、この度、独身次女の私が実家に戻って介護をすることになりました。かわいい外猫のお世話もありまして、毎日てんやわいやであっという間に過ぎてしまう為、記録を残して反省したり自分を励ましたりして、感謝して過ごせるようにしたいと思っております。

1/23(月)

朝起きて下に降りると

母は既に起きてて不機嫌だった。

パンを焼いた匂いがうっすらした。

6時には起きて、お腹すいて

パン食べたのかなと思った。

 

「茶色のコートどこにやった返せ!!」

母の顔は必死でひっついた

やばい表情。

「??」

夕べテレビで高橋一生が着てた

ジャケットが母が叔母(母の姉)から

貰ったのに似てると軽口を叩いた

のが裏目に出た。

貰ったコートが見当らない事が

私が良いものを持って行く、盗人

という思いに繋がったらしい。

早起きした母は、寝坊した

私に不満もあり、怒り爆発か、、

「あのコートは、二階にあるよ!

クローゼットに仕舞うからね〜

と言ったでしょ」と私は大声で言った。

耳の悪い母に大声で言う癖が

ついてしまってる。

私はコートを取りに行き、

母に差出して

「ほら、これでしょ、誰も

取ってないよ」

母も、これこれと言って

嬉しそうにした。

しかしその後、母はまたベッドに

入ってしまった。

中々ベッドから出てこないので、

「ご飯食べて冷めるよ」

「もう食べたんだ、いいんだ

もう嫌なんだ、嘘ばっかついて」

「嘘なんてついてないよ、

コートだって盗ってないでしょ」

「盗んだなんて言ってない」

「言ったよ、コート盗ったて」

「お前が盗んでばかりいるから

ついそう言ったのかもな」

「何言ってんの、いいから

ご飯食べてね」私は怒った口調で

言ってしまった。

その後母は朝食を食べてくれた。

母も機嫌が徐々にもどり、

まーまー通常運転になった。

 

1/24(火)

朝起きたら、

母は起きてた。

急いで朝食をつくった。

ゴミ出し、掃除。昼食と

午後は自転車で国道を超えた

スーパーまで買い物に行った。

帰ると、母はほうれん草を

洗ってくれていた。

御礼を言った。機嫌が良くて

良かった。

 

1/25(水)

朝寒くて母も起きられ

ないようだった。朝食を作り

やっと起きた母に食べて貰った。

とにかく寒いので、掃除もせず

二階の炬燵にこもってしまった。

昼は温かいソーメン作って、

一緒に食べた。食後また

二階に上がり炬燵で寝てしまった。

下に降りて早めに夕飯の準備をした。

母が「明日晴れるかな

「晴れるみたいよ」

「じゃあ今日のうち洗濯

しておこいかな」

私は、めんどくさいと思って

しまい「明日でいいよ洗濯機に

入れておいて」と言ってしまった。

その途端、母はむくれてしまった。

「もういいんだ、、」ぶつぶつと

念仏のように不満を言い出した。

あー失敗。否定してはいけないのだ、

そして微妙に命令口調が嫌なんだね。

納得した。

とにかく洗濯した。

その後夕飯をなんとか一緒に食べた。

食後私がトイレから戻ると、

「今日はお風呂に入らない」

「なんで、沸かすよ」

「いやなんだ、誰か入って、、」

また始まったと思った。

「誰も他の人入れてないよ」

「そんなんじゃない、

嫌なんだ気持ち悪い」

といつもの詰りが始まった。

「なんだ、あの時仕事大変だなって

聞いただけで、仕事だときくな

と凄い剣幕で」

「だから、あれはごめんて謝った

でしょ、でも許さないじゃん」

「謝って許せることか」

「そうやって、誰のことも許せ

ないんだよね、お母さんと私は

似てるのよ、駄目なとこそっくり」

「親子だから、似てんだろ」

その後、洗濯物干して

母は仔猫が夕べ暴れて大変だったと

押入れの前を片付けだしたので

手伝った。それだけで機嫌よくなった。

 

母は足だけ洗って寝た。

私は風呂に入って寝た。

 

他人行儀になりたくない、

と思ってたけど

他人行儀のが良いのかな

明日から試してみるか、、